学校の勉強がつまらない理由 -学校の歴史から勉強の意味を理解しよう!-

歴史
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「学校の勉強がつまらない」、「なんで授業を受けるの?」、こんなことを誰もが一度は考えたことがあると思います。私も常々思っていました。
とはいえ、意味がないならこのような仕組みはないはずですよね。

結論、学校の勉強は、「つまらないのが当たり前」なものと言えます。
どういう意味か、よくわかりませんよね。

きっとこの記事を読み終わる頃には、「なぜ学校の勉強はつまらないの?」という疑問を、学校の歴史から理解して、どのようにそれを乗り越えるかを理解できているはずです。

人はどんな時に「楽しい」「つまらない」と感じるのか

学校の勉強、つまらないですよね。

では逆に、「楽しい」と感じるものを思い浮かべましょう。
ゲーム、SNS、ネットサーフィン… いろいろあると思います。

この「楽しい」と「つまらない」の間には、どのような違いがあるのでしょうか?

「楽しい」と「つまらない」の差

一言でいえば、「ユーザーをのめり込ませる工夫と仕掛けがたくさんある」からです。
「当たり前じゃん」と思った方、少しお付き合いください。

例えばSNSやソーシャルゲームの「ガチャ」では、人間の「報酬系」という機能を利用していると言われています。

報酬系とは、「これをやったら楽しい未来が待っている『かもしれない』」という期待感を感じて、そのための行動に駆り立てる機能です。

「スマホの電源を付けたら、連絡がきている『かもしれない』」「ガチャを引いたらいいキャラが手に入る『かもしれない』」
この『かもしれない』を感じたとき、人はワクワクして、居てもたってもいられなくなるわけです。

つまり、「楽しい」とは『かもしれない』と感じているときと言えます。

なぜ学校の勉強は「つまらない」のか

この仕組みがわかれば、学校の勉強がつまらない理由もわかってきますね。

下に示す理由は、どれも「自分のためになる『かもしれない』」と感じられていないことが原因と思いませんか?

  • 勉強は強制されているものだから
  • 勉強の意味が分からないから
  • 勉強をしても、達成感を感じられないから

ということは、「勉強をしていれば、自分の大事なことに役立つ『かもしれない』」という期待感があれば、勉強は「楽しい」ものになりそうですよね?

次の章から、「教育の歴史」を通して、学ぶ意味やどのように自分とつなげていくかについて説明していきます。

そもそも「教育」とは?

学校の成立の前に、そもそも教育とは、から考えていきましょう。
教育社会学の研究者である広田照幸さんは、「教育」を次のように定義しています。

教育とは、誰かが意図的に、他者の学習を組織化しようとすることである

「ヒューマニティーズ 教育学」|広田照幸|2009

難しいですね。私が勝手に解釈すると、教育とは、

  • 自分ではない誰かが、
  • この人をこう変化させたいという「意図」をもって
  • 学習を強制するもの

という意味かなと思います。

例えば、何か得られると思って富士山に上り、自然に触れる中で何かを感じ取ったとしても、富士山は「意図をもって」あなたに学習させたわけではないですよね。

つまりこの定義では、教育には「学習を与える側の意図」が必要なわけですね。
そして、「学校の勉強がつまらない」原因は、近代の教育がもつ「意図」から理解できるものでもあります。

それでは、本題の学校の意図(存在意義)を理解していきましょう。

経験 vs 知識

学校では「知識」をひたすらに学んでいきますよね。
そして時にそれは、一見身近でない、なぜ学ぶ必要があるのかわからない分野にまで広がります。

このような状況に対して、「経験」から学ぶ方が大事だという意見を見かけることがあります。

経験から学べば十分?

「学校の勉強より経験の方が重要だ!」という意見。

この考えは、一定正しい主張だと思います。
なぜかと問われれば、経験から学ぶことも多いですよね?と返したいと思います。

なにも、ふざけているわけではありません。

子どもの頃に近所の大人から、塾の友達から、地元のスポーツクラブの人からなど、学校の外にあるものから学んだことはたくさんありますよね?
もちろん社会に出てからも、会社の先輩、取引先の人、仕事での失敗などなど、経験から学ぶ機会は多いと思います。

これが無駄なわけはなく、「経験から学ぶ」ことは人生の中で非常に重要なものです。
では、「学校で学ぶ知識」は不要なのでしょうか?

学校での知識

さて、いよいよ学校の話です。

「学校」という仕組みがなかったころ、人々は親の仕事を継ぐことが当たり前でした。
農家の子どもは農家、商人の子どもは商人といった感じですね。

この時代には、親の仕事を手伝いながら、「経験」から仕事の仕方を学ぶことが一番効率的でしたし、それで「将来困ることはなかった」わけです。

では現代。皆さんは親の仕事を手伝っていれば将来は安泰でしょうか?
そういう方も居るとは思いますが、多くはそうではないと思います。

例えば、英語が必要な仕事に就きたい人が、日本語しか話せない人の中でいろいろな「経験だけ」を積んでも、目指した仕事には就けませんよね。
これは、研究者でも建築家でもなんでも同じことです。

つまりここで、その人の身近な環境で経験できることの外側にあるものを、誰かが学習させなくてはいけなくなったわけです。

話が見えてきましたね。
この「その人の環境の外側のことを学習させる」ことが、「学校の意図(存在意義)」ということです。

学校の勉強がつまらない理由

学校の勉強がつまらない理由として挙げられるものに、「勉強する意味がわからない」ということがあります。
ここまでの話を踏まえると、意味がわからないのは当たり前、ということになります。

では、学校の勉強が無価値かと言えばそうではありませんし、むしろ今真剣に学ぶことがとても大事です。
なにせ、将来必要になることを先取りで勉強しているわけですから。

とはいえ、つまらないままは良くないので、何か解決策がないとですよね。
私がお伝え出来ることは、このブログを読みましょう、です。

半分冗談で半分本気ですが、とにかく、学校の外に目を向けましょうということです。

学校の勉強をする意味は、学校の外にあります。
一人ひとりが興味を持てるもの、より深く知りたいと思うものを見つけましょう。

そうすれば、あなただけの「勉強する意味」が見つかると思います。

せっかくなので、思い切り学校を使い倒してやりましょう!

まとめ

ここまで、学校の勉強は学校の中だけで学んでいるからつまらない、ということを話してきました。
とはいえ、これはひとつの捉え方にすぎず、この解釈がすべてではありません。

面白いと感じること、興味があることを深掘りしてみて、皆さん一人ひとりにとっての「学ぶ意味」を見つけて、充実した日々を送っていきましょう!

もっと知りたい!まだ納得いかないという方向けにお勧めの本を載せておきます。
ぜひ読んでみて、面白さを味わってください!

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